しばらく弾いてなかったΩ(オメガ)という名前のアコギを弾いて歌っていた。もう亡くなってしまったルシアーが作った、ほぼ手作りの楽器。21世紀の初めに手に入れて、ゼロ年代半ばくらいまではメインギターだった。一時期調子が悪かったせいもあってステージで弾くことが減り、最近はほとんど手にしていなかった。
久しぶりに弾いてみたら、なんだかとてもしっくりきた。長い間一緒に旅した楽器は、どれだけブランクが空いても手がネックの握りを覚えている。しばらく弾いていたら馴染んできて、だんだん体の一部みたいな感覚になってきた。
音量は小さめだが、そのボリュームに合わせて適度に声を抑制すると、いい声が出せた。この2年ほど声の調子に気を使いながら歌ってきたが、今日ははり過ぎない声と感情が直結するように歌えた。本当に久しぶりの感覚だった。
以前、声の専門医の先生に「どんな歌い手も、30代、40代、50代、それぞれの年代で歌い方を変えていくんですよ」と聞いたことがある。50代の歌い方は、まだ本当の意味で確信を持てなかった。この感覚をキープしたい。声の音色に感情を込める。ライブを夢見て。
カエターノやポールみたいに、おじいちゃんになっても歌っていたい。健康で、長生きするんだ。
2月末から3月末にかけて、ギタリストとして参加する予定のライブが2本ある。No Lie-Sense(鈴木慶一+ケラリーノ・サンドロヴィッチ)と、宮沢和史君のソロ。
予定のセットリストはどちらも大半が演奏したことのない曲ばかり、共演メンバーも初めての人が多く、みんなで音を出せるのがとても楽しみ。
僕はギタリストとして器用な方ではないし、できるだけ曲を繰り返し演奏して体に覚え込ませてから本番に臨みたいタイプだから、もう個人的に予習を始めている。
コロナの現状からすると、一ヶ月後ライブが無事にできるのかどうか。かなりセンシティブな時期ではある。でも、中止が決定するまでは準備を進めなければ。
何ヶ月にも及ぶ入念な準備を重ねた後に、直前に中止が決まったイベントやライブや演劇が、世界中にどれだけあるのだろう。舞台芸術苦難の時代。
去年は自分の関わったイベントもいくつか中止や延期になってしまったが、幸い準備が無になってしまうことはなかった。さりとて、配信だけでは何かが足りない。
2021年、ついにリオのカーニバルも中止。
祭りを奪われた人類の、もどかしさよ。
夜9時、いまはまだ冷たい雨。
この雨が雪に変わるのかな、予報通りなら。
*pics by H.Takano with SIGMAfp + 65mm F2.0
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